言葉の力歳月記

話題の言葉、心に残る言葉・名言・名句・名台詞・俳句・短歌・詩、新語などを季節とともに学びながらお知らせしています。

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「今日の自分が一番好きといえる自分でありたい」。山本富士子

 
2017年7月21日「徹子の部屋」がテレビ朝日より放送された。
タイトルは 特別企画 銀幕のスター ゲストは山本富士子であった。
 
◆印象に残ったインタビューピックアップ

「美しさを保つ秘訣は?」と尋ねられた時に山本富士子は「食事と運動と心の持ちよう」と答えた。
 
口に入る料理は大体自分で料理する。見た目も美しくバランスの取れた料理を心掛けているという。

運動はストレッチと速足歩きを自宅の部屋で毎日行うらしい。
 
座右の銘は「今日の自分が一番好きといえる自分でありたい」。
 
夫であった山本丈晴とは生まれ変わっても又夫婦になりたいと語る。
 
彼岸花に出演した後毎年小津監督から季節になると彼岸花が送られ、それは今現在もなお親族の方から送られているという。

徹子の部屋 山本富士子 動画 2017年7月21日
 2017/07/21
徹子の部屋 山本富士子
2017年7月21日放送
【番組内容】
~輝く“美"の秘密?手作り料理と健康法~山本富士子さんが今日のゲストです。   
 
★山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159cm。
生年月日 1931年12月11日
出生地 日本 大阪府大阪市西区立売堀
国籍 日本
身長 159cm
血液型 AB型
職業 女優
ジャンル 映画・テレビドラマ・演劇
活動期間 1953年 -
主な作品 映画
『夜の河』/『彼岸花』/『暗夜行路』
黒い十人の女』/『私は二歳』
雪之丞変化
テレビドラマ『明治の女』/『大文字はもう秋』
 
主な受章・受賞歴
1956年(昭和31年) - 映画『夜の河』
NHK 主演女優賞
1958年(昭和33年) - 映画『白鷺』、『彼岸花
第9回ブルーリボン賞 主演女優賞
1960年(昭和35年) - 映画『女経』、『濹東綺譚』
第34回キネマ旬報賞 主演女優賞
1996年(平成8年) - 第6回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー
2001年(平成13年) - 紫綬褒章
2000年・2002年(平成12・14年) 燦々ぬまづ大使(観光大使 2度受賞)

著書「いのち燃やして」(小学館。芸能生活50周年記念)
来歴
1931年(昭和6年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)生まれ。母は船場の綿花問屋山重の主人の長女。少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。自宅が進駐軍に接収されたため引越し、大阪府立大津高女(現・大阪府泉大津高等学校)から京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)に転入し、1949年(昭和24年)卒業。
1950年(昭和25年)、読売新聞社中部日本新聞社西日本新聞社が主催する第1回ミス日本(700人近い応募者があった)において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。この時の審査や授賞式の模様を伝えた白黒ニュースフィルムが現存する。
1951年にミス日本として公式訪米し、ニューヨークのヤンキー・スタジアムでマリリン・モンロージョー・ディマジオに会った。ミス日本に選ばれた後、映画界からスカウトされるが、当初女優になる意思はなかった。しかしスカウトが途切れず、悩んだ末、姉の「これからの女性は仕事を持つことよ」という言葉に女優になる決心をする。
ミス日本になってから3年後の1953年、映画会社の争奪戦の末、大映に入社。契約内容は「1本あたりのギャラはスライド制で1年目が10万円、2年目が20万円、3年目が30万円と意外に安いかわりに、3年たったら自由契約」であったが、3年後の自由契約の約束は守られなかった。
同年、映画「花の講道館」で長谷川一夫の相手役としてデビュー。戦後ミスコン出身女優第1号と言われている。1954年に『金色夜叉』、1955年には『婦系図 湯島の白梅』のヒロイン、1956年の映画『夜の河』が大ヒットし、大映の看板女優として活躍した。
1963年1月、大映との契約更改を月末に控え、前年と同じ条件の「年に大映2本、他社2本出演」の契約を主張したが受け入れられず、1月末の契約切れを待ってフリーを主張。大映の社長・永田雅一は烈火の如く怒り、彼女を解雇し五社協定にかけると脅した。
山本はフリー宣言をし、同年2月28日、帝国ホテルでの記者会見で「そんなことで映画に出られなくなっても仕方ありません。自分の立場は自分で守ります。その方が生きがいがあるし、人間的であると思います。」と語り、詫びを入れろとの周囲の声に耳を貸さなかった。
永田は一方的に解雇し、五社協定を使って他社や独立プロの映画や舞台からも締め出すよう工作する。この事は当時の国会でも取り上げられ、世間でも「人権蹂躙」と非難の声が上がった。
彼女はテレビドラマに活路を求め、『山本富士子アワー』などに主演した後、演劇に新境地を開き、2013年現在まで演劇一筋で主演を続けている。
なお、五社協定から49年が経過した2012年の今も映画界には復帰していない。ただ、テレビ番組『映像美の巨匠 市川崑』(1999年、NHK)の中で、1983年に市川崑から映画『細雪』への出演依頼があったが断っている。結局、岸惠子が演じることとなったが、公開になった映画を観て、出演しなかったことを後悔したと語っている。
1962年、作曲家の山本丈晴(旧姓:古屋、古賀)と結婚(2011年9月7日に死別)。1968年、長男を出産。現在は孫もいる。
2002年12月、日本経済新聞で「私の履歴書」を連載。
2011年11月21日、夫・丈晴のお別れの会が東京都千代田区紀尾井町にあるホテルニューオータニで開かれ、喪主を務めた。会には芸能界や政財界などから約1000人が出席した。
★『彼岸花』(ひがんばな)は、小津安二郎監督による1958年製作・公開の日本映画である。小津の監督作品としては初のカラー映画。松竹大船撮影所製作、松竹配給。日本では同年9月7日に公開された。
■受賞
キネマ旬報ベストテン第3位
ブルーリボン賞主演女優賞(山本富士子
文部省芸術祭芸術祭賞
佐々木幸子:山本富士子大映)(当時としては異例の出演であった)