「ドラマは俺たちが作るんだ!」仙台育英・佐々木順一朗監督 仙台育英が大阪桐蔭の春夏連覇の夢を打ち砕く
「ドラマは俺たちが作るんだ!最高の舞台じゃないか!」。9回裏、仙台育英・佐々木順一朗監督はそう言って打席に向かう選手を送り出した。
「私も、選手も9割負けると諦めていました。でも10割諦めてはいませんでした。」
仙台育英・佐々木順一朗監督
仙台育英・佐々木順一朗監督
2死走者なし。「9割くらい諦めていた」という指揮官だが、ドラマはここから始まった。5番・杉山が中前打で出塁し、さらに二盗に成功。6番・渡部が四球を選び、一、二塁。途中出場の7番・若山の打球は力のない遊ゴロ。
試合終了と思った瞬間、三塁側アルプススタンドはため息から歓声に変わった。一塁手がベースを踏み損ない、若山はセーフ。満塁となった。
九回2死一、二塁。仙台育英の若山は、遊ゴロで万事休したと思われたところがセーフになって命拾い。「何が何だか分からなかったけど、あとにつなげました」。
甲子園でもバウンドが変わる安打などがあり、普段からラッキーボーイと呼ばれている背番号15。ゴミが落ちていれば、「運拾い」といって拾うのがチームの取り組みだ。この朝もお菓子のゴミを拾った。「きっとそのおかげです」と笑顔が絶えなかった。
「皆が2死走者なしから回してくれた打席だったので、何とかしようと思って打席に入った。ここで自分が最後になるかっていう場面だったので自分で決めてやろうという強い気持ちで入りました」と馬目。若山の遊ゴロで「正直言うと、本当にもう終わってしまった、と」思ったと打ち明けたが、「歓声がワーッとなって、まだ続いているんだなって思って。強く、自分が決めてやろうと思った」。
試合を決めたのは仙台育英の背番号16、途中出場の馬目(まのめ)だった。1点を追う九回2死満塁。「最後になるか、サヨナラか。自分が決めてやろうと思った」。中堅手の頭上を越える逆転の2点二塁打を放った。控え組は主力より実戦的な打撃練習の数が限られるというが、「その中で、ひと振りで仕留める練習をしてきた」と誇らしげだった。
ほんの数分前までの双方の立場が逆転したシーンとなった。
「夢みたい。うれしいを通り越している」。1995年から途中休養もありながら約20年チームを率いている、普段は冷静な佐々木監督も興奮気味。「本気になれば世界が変わる」と常々選手に言い続けてきた言葉が現実となった。
「最後のシーンは観客の一人として見てました。9回表が終わり、ドラマは俺たちが作るんだ、と言ってたじゃないかと円陣で話し、馬目には必ずお前に回ってくると。それにしても頼もしい選手です」
「今年は強くない」と言い続ける佐々木監督だが、甲子園で勝つには実力とともに目に見えない“何か”が必要。
過去2回、夏の大優勝旗に手が届かなかった仙台育英だが、今年のチームはその“何か”を持っている。
試合後の仙台育英・佐々木順一朗監督(57)とのインタビュー。
・馬目(サヨナラ2塁打)には
「必ずおまえに回ってくるから。『ドラマはおれたちで作るんだとずっといってきただろ、最高のシチュエ ーションじゃないか』と円陣で話した」
・選手たちはあきらめてなかった
「9割ぐらいはあきらめていたんじゃないか。10割はあきらめていないということ。まだ何かあると。
馬目がヒーローになってくれたことがうれしくて仕方がない」
「9割ぐらいはあきらめていたんじゃないか。10割はあきらめていないということ。まだ何かあると。
馬目がヒーローになってくれたことがうれしくて仕方がない」
・なかなか点を取れず
「ロースコアを期待していた。何となると思っていた。理想的な展開だった」
「ロースコアを期待していた。何となると思っていた。理想的な展開だった」
・勝てた要因は
「九回、守備から帰ってきたとき、これ以上ないぐらいの笑顔だった。頼もしかった」
「九回、守備から帰ってきたとき、これ以上ないぐらいの笑顔だった。頼もしかった」
『甲子園には魔物が住んでいる、野球はツーアウトから、勝負は下駄をはくまでわからない』。等といった諺がホントになってしまった一戦だった。
準々決勝10:30開始予定
天理(奈良)-明豊(大分)
天理(奈良)-明豊(大分)
★仙台育英学園高等学校(せんだいいくえいがくえんこうとうがっこう)は、宮城県仙台市と多賀城市に立地する私立高等学校。略称は仙台育英(せんだいいくえい)。
設置者は学校法人仙台育英学園。同法人は、東北地方では初の中等教育学校である秀光中等教育学校を設置している。
東日本大震災の影響
2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城野校舎は、2012年1月から改修工事が進められ、2013年3月24日に竣工した。同年4月9日には開校式が挙行され、授業が開始した。宮城野新校舎として完成したのは新『栄光』、新『南冥』、新『北辰』の3つの建物。新『栄光』と新『南冥』との間には、学園創立者である加藤利吉を記念した『GP(Great Principal)ホール』も建設された。
多賀城校舎グラウンド整備
2013年3月多賀城キャンパスのグラウンド(野球場『真勝園』、多目的グラウンド(サッカー場)、テニスコート)が人工芝に整備された。
2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城野校舎は、2012年1月から改修工事が進められ、2013年3月24日に竣工した。同年4月9日には開校式が挙行され、授業が開始した。宮城野新校舎として完成したのは新『栄光』、新『南冥』、新『北辰』の3つの建物。新『栄光』と新『南冥』との間には、学園創立者である加藤利吉を記念した『GP(Great Principal)ホール』も建設された。
多賀城校舎グラウンド整備
2013年3月多賀城キャンパスのグラウンド(野球場『真勝園』、多目的グラウンド(サッカー場)、テニスコート)が人工芝に整備された。
■甲子園成績 3回の準優勝
1989年(平成元年) - 硬式野球部が夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
2001年(平成13年) - 硬式野球部が春の選抜甲子園大会(選抜高等学校野球大会)にて、準優勝。
2015年(平成27年) - 硬式野球部が夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
1989年(平成元年) - 硬式野球部が夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
2001年(平成13年) - 硬式野球部が春の選抜甲子園大会(選抜高等学校野球大会)にて、準優勝。
2015年(平成27年) - 硬式野球部が夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
モットーは「本気になれば世界が変わる」
監督・コーチ歴
仙台育英学園高等学校
仙台育英学園高等学校