勝負の世界に運不運、不思議はなく、必然があるのみである。
読売新聞日曜版の「よみほっと 名言巡礼」に下記の言葉が掲載されていた。
剣術指南本質を突く
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。
「松浦静山」の言葉といわれている。
後に野村克也が「負けに不思議の負けなし」という本を出した。
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「勝負に運はつきもので運で勝つことはあっても、負ける時には何か原因・理由があるのもである」。という意味らしい。
しかしスポーツやその他の勝負の世界を見聞きしてみると、どうもそうではなさそうである。
私の経験からしてみると、
「勝負の世界に運不運、不思議はなく、必然があるのみである」。
ならばスーパープレイ、奇跡の勝利、代打逆転満塁ホームランなどはいかに。
スーパープレイ、奇跡の勝利、代打逆転満塁ホームランなどは生まれねべくして生まれている。
代打というのは、監督の意思決定であり、打者は勝とうとして打った結果である。
今までの練習の成果であり、必然的結果に他ならない。
勝ちには勝ちの原因と理由があり、負けには負けの原因と理由がある。
勝負の後にそれらの原因と理由をよく研究して次の勝負に生かす。
これが勝負の世界における進歩というものである。
負の部分の反省はもちろん大切なことではあるが、どうすれば勝つかという答えは「勝った原因と結果を科学的に研究する」方法の中にも存在するのである。
したがって勝負の世界に運不運などという不確かなものに頼っていては勝てない。
負けるときはもちろんのこと勝った時にも、原因理由が存在するのである。
運不運を論じるのは観客であって、真剣勝負の当事者は運不運を論じるのは愚の骨頂である。
真剣勝負の当事者はすべて実力、原因と理由で処理しなければならない。
ましてや真剣勝負ならば生死の戦いである。
したがって
勝負の世界に運不運、不思議はなく、必然があるのみである。
★松浦静山【まつうらせいざん】
江戸後期の肥前平戸藩主。江戸生。名は清、別号に雲州・流水・感恩斎等。徳川家治に謁し、従五位下壱岐守に任ぜられ、その翌年平戸藩主を嗣ぐ。藩財政の再建に専念する一方学問・武芸の普及をはかった。藩校維新館を創設、感恩斎(江戸)・楽歳堂(平戸)の開設に続き
1760‐1841(宝暦10‐天保12)
江戸後期の大名。肥前平戸藩代の藩主。江戸藩邸に生まれた。幼名英三郎のち清(きよし),静山は号。8代藩主誠信(さねのぶ)の三男政信の子であったが,1771年(明和8)父卒するや,祖父の世子となり,75年(安永4)2月,祖父の致仕に伴って襲封し,6万1700石を領した。あたかも藩は慢性化した財政難にあったため,ただちに人事の刷新を断行し,藩政執行部を一新し,緊縮経済を確立し,財政収入の確保と計画的な処理を徹底するため,具体的な計画を立て,実行に移して,大きな成果をあげた。 絹熙斎を開く。林述斎の奨めにより甲子の夜に起草し、『甲子夜話』正続各百巻、第三篇七八巻を著わす。天保12年(1841)歿、82才。
★野村克也 のむら-かつや
1935- 昭和後期-平成時代のプロ野球選手,監督。
昭和10年6月29日生まれ。昭和29年テスト生で南海に入団。40年戦後初の三冠王。45-52年監督も兼務。ロッテ,西武にうつり,捕手として世界記録の3017試合出場。実働26年,本塁打王9回,打点王7回,首位打者1回。通算2901安打,2割7分7厘,657本塁打,1988打点。平成元年野球殿堂入り。2-10年ヤクルト監督(優勝4回,うち日本一3回)。11年阪神監督。社会人のシダックス監督をへて,18年楽天監督。21年監督勝利1500を達成する。京都府出身。峰山高卒。