言葉の力歳月記

心に残る言葉・名言・名句・名台詞・新語などを学びながらお知らせしています。

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新しくなりたいと思ったら早く寝よう。"Tomorrow is another day."

新しくなりたいという気持ちを持つときがあります。

他人から意地悪されたり、ひどいことを言われたりしてすごく淋しい一日もあるし、自分自身に愛想をつかす一日もあります。

そんな時には、早く寝てしまう。

そして翌朝、新しく目を覚ます。

覚ましたいと思う。

『愛と励ましの言葉366日』渡辺和子著 PHP研究所発行

 

映画「風と共に去りぬ」の中で

"After all, tomorrow is another day."

と最後のシーンで涙を拭きながらスカーレット・オハラに扮するビビアン・リーが最後に言うセリフがあります。


GWTW - Vivien Leigh - '...tomorrow is another day...'

Tomorrow is another day.

は色々な邦訳がなされています。

・「明日という日がある」
・「明日は新しい一日だわ」
・「明日は明日の風が吹く
・「今日で悲しみは終わり、明日は何とかなるでしょ」
・「明日になればまたチャンスはあるさ」
・「明日に望みを託して」
・「望みはあるわ、 また明日が来るんだもの」(DVD邦訳)
・「明日という日があるわ。希望を持って生きて行こう」etc.

 

辞書によると「明日はまた別のなりゆきになる。世の中は何とかなるもので、先を思い煩うことはない。」とあります。

筆者は「今がどんなに辛くても、明日という日は必ず訪れる。故に決して諦めずに、希望を持って明日を生きていこう」という意味がこめられているように思います。

"Tomorrow is another day."という科白をスカーレット・オハラに扮するビビアン・リーは力をこめて言い放っています。そしてスカーレット・オハラの目と表情が輝いています。

自分で自分を鼓舞しているセリフに聞こえます。

そこで筆者の意訳は「タラという土地が有るじゃない。(明日という日があるわ)タラに希望を持って生きて行こう」という様な意味で「明日という日があるわ。希望を持って生きて行こう」という邦訳が適当ではないかと思います。

更にスカーレット・オハラの強い性格を考えてもっと積極的に「明日という日は今日より必ずいい日にしてみせるわ」という邦訳は如何でしょうか。

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11月19日

一人で生まれ、一人で死んでいかなければならない人間は、その生涯の間、触れ合いを求め続けて生きている。

その触れ合いが、絶えず新鮮であるためには、ふれあえるだけの近さと共に、触れ合いが実感として、感じられる距離も無ければならない。

 

『愛と励ましの言葉366日』渡辺和子著 PHP研究所発行

 

 

祈り続けているのにその願いが叶えられない人には「切なく辛い思い」をすることが必要なのでしょう。渡辺和子

11月18日

祈り続けているのにその願いが叶えられない人には「切なく辛い思い」をすることが必要なのでしょう。

それが必要だったと理解できるのはまだまだ先のことになると思います。

信仰というのは、その間の"闇の時間"を光の存在を信じながら生きることと言ってもよいかもしれません。

愛することは許されること 

『愛と励ましの言葉366日』渡辺和子著 PHP研究所発行

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考えるということこそ人間の尊厳

11月17日

考えるということこそ人間の尊厳の所由であり、考えた末、選ぶことに人間の自由の本質がある。

『愛と励ましの言葉366日』PHP研究所 渡辺 和子 より

 

※考(かんが)える葦(あし)

 パスカルの「パンセ」の中の言葉。「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」として、人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したもの。

 

※我思う,故に我あり【われおもう,ゆえにわれあり】

ラテン語〈コギト・エルゴ・スムCogito,ergo sum.〉の訳。デカルトが方法的懐疑の末に到達した哲学の根本原理。あらゆるものは疑えるとしても,かく疑い考える我の存在は疑えない。

I think, therefore I am.(我思う、故に我あり)
●後世への影響
スピノザは「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans)」と解釈している。
アンブローズ・ビアスは『悪魔の辞典』の中で、デカルトの発言は不徹底である、厳密性を更に求めるならcogito cogito, ergo cogito sum.(「我思うと我思う、ゆえに我ありと我思う」)というべきであろうと書いている。確かに、cogitoを論ずるときには、それが単なる「私」ではなく「考える私」もしくは「私は考える」の意味であることを忘れてはいけない。
夏目漱石の『吾輩は猫である』において、主人公の猫が「人間は長い歴史の中でこんな当たり前のことしか思いつかない愚かな生き物だ」と嘲笑している。
 

 


★渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。
来歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。
1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。
成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。
1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。
1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。
アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。
1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。
1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。
1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。
2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。  
●受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章。
●著書
『美しい人に』のほか、『「ひと」として大切なこと』『愛と励ましの言葉366日』など、キリスト教ヒューマニズムに基づいた生き方や心の持ちようを説くエッセイを数多く著し、長く読み継がれている。最近では2012年に発売された『置かれた場所で咲きなさい』がベストセラーになった。

・単著
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
・共著
『人は死ぬとき何を思うのか』(大津秀一、石飛幸三、青木新門山折哲雄と)PHP研究所、2014年
・訳書
マザー・テレサ 愛と祈りのことば』(マザー・テレサ編、ホセ・ルイス・ゴンザレス・バラド編)、PHP研究所
・出演
あさイチ」プレミアムトーク NHK総合、2014年7月18日
中居正広の金曜日のスマたちへ」 TBS、2015年10月30日

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「苦しみは辛いがいつか必ずトンネルみたいに明るい時が来る」。『愛と励ましの言葉366日』渡辺和子著より

11月16日

苦しみというものは、通っているときはすごく辛いけれども、いつか必ずトンネルみたいに明るい時が来ます。

 

入る前の明るさとちがった明るさ、暗さを通った明るさがそこにあって、苦しみは自分の業績となり、歴史となって、人生の履歴書に書かれていくわけです。

 

人間としてどう生きるか

 

愛と励ましの言葉366日 (PHP文庫)

愛と励ましの言葉366日 (PHP文庫)

 

 

『愛と励ましの言葉366日』渡辺和子著 PHP研究所発行より

帯文の言葉

「私は私しか生きられない一生を私らしく生きることが一番大切なのです。私は私なんだという、その自覚をもって生きることが大切です」。

 

日本語として「日はまた昇る」「明日は明日の風が吹く」といった意味であろうか。

「人生をポジティブに考えなさい」。という教えだと思う。

失敗しても、こうすれば失敗するんだということが分かったことが大切ということなのだろう。

 

次の成功の為のステップと思えばいいということかな。

 

ココロが折れそうになった時人生のビタミン剤になる言葉である。

 

★渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。

来歴
1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。

1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、43発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。

成蹊小学校、雙葉高等女学校(現 雙葉中学校・高等学校)卒業。

1945年、18歳でキリスト教カトリック)の洗礼を受ける。1951年聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、1954年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。

1956年、29歳でナミュールノートルダム修道女会に入会。

アメリカへ留学し、1962年6月にボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同年9月にノートルダム清心女子大学教授に就任。

1963年に36歳という異例の若さで岡山県ノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990年に退任)。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。

1977年にはうつ病を患う。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著書も多数。

1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年~2001年には日本カトリック学校連合会理事長に就任した。

1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。

2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった。
2016年12月30日、膵臓癌により死去。89歳没。  
●受賞
1974年 - 岡山県文化賞(学術部門)を受賞
1979年 - 山陽新聞賞(教育功労)を受賞
1979年 - 岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞
1986年 - ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞
1989年 - 三木記念賞を受賞
2015年 - 広島大学のペスタロッチ賞を受賞。
2016年 - 春の叙勲で旭日中綬章を受章。
●著書

『美しい人に』のほか、『「ひと」として大切なこと』『愛と励ましの言葉366日』など、キリスト教ヒューマニズムに基づいた生き方や心の持ちようを説くエッセイを数多く著し、長く読み継がれている。最近では2012年に発売された『置かれた場所で咲きなさい』がベストセラーになった。

・単著
『信じる「愛」を持っていますか』PHP研究所、1981年
『心に愛がなければ』PHP研究所、1986年
『現代の忘れもの』日本看護協会出版会、1989年
『愛をこめて生きる』PHP研究所、1989年
『愛することは許されること』PHP研究所、1999年
『目に見えないけれど大切なもの』PHP研究所、2003年
『愛と励ましの言葉366日』2004年、PHP研究所
『忘れかけていた大切なこと』2005年、PHP研究所
『「ひと」として大切なこと』PHP研究所、2005年 - 2003年刊行『人間としてどう生きるか』の改題版
『愛と祈りで子どもは育つ』2006年、PHP研究所
『美しい人に』PHP研究所、2008年
『幸せのありか』PHP研究所、2009年
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、2012年
『スミレのように踏まれて香る』朝日新聞出版、2012年 - 1970年刊行『人をそだてる』(サンパウロ)の改題、加筆修正版
『面倒だから、しよう』幻冬舎、2013年
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所、2015年
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所、2017年
・共著
『人は死ぬとき何を思うのか』(大津秀一、石飛幸三、青木新門山折哲雄と)PHP研究所、2014年
・訳書
マザー・テレサ 愛と祈りのことば』(マザー・テレサ編、ホセ・ルイス・ゴンザレス・バラド編)、PHP研究所
・出演
あさイチ」プレミアムトーク NHK総合、2014年7月18日
中居正広の金曜日のスマたちへ」 TBS、2015年10月30日

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他人に感謝するほど幸せになる。

他人を気にするほど心配になる。

         他人に感謝するほど幸せになる。 詠み人知らず。

 

 自分と人を比べたら、上には上がいることに気づきます。どうしても比べたければ、昨日の自分と比べることです。


 他人に感謝できる人は他人を大切にできます。そうすると他人もあなたを大切にしてくれます。

美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。 美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。

『美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。
美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。』

For beautiful eyes, look for the good in others; for beautiful lips, speak only words of kindness; and for poise, walk with the knowledge that you are never alone.


オードリーヘプバーン・美しいひとであるためには

 

直訳
「美しい目のために、他の人たちの良いものを探してください。 美しい唇のために、優しさの言葉だけを話す。 あなたは一人ではないという知識を持って歩きなさい」。

Sam Levinsonという人が孫のために言った言葉の一部をAudrey Hepburnが意訳して読んだといわれています。

 

Time Tested Beauty Tips


For attractive lips, speak words of kindness.
For lovely eyes, seek out the good in people.
For a slim figure, share your food with the hungry.
For beautiful hair, let a child run his or her fingers through it once a day.
For poise, walk with the knowledge you'll never walk alone.
People, even more than things, have to be restored, renewed, revived, reclaimed, and redeemed; Never throw out anybody.
Remember, If you ever need a helping hand, you'll find one at the end of your arm.

As you grow older, you will discover that you have two hands, one for helping yourself, the other for helping others.
The beauty of a woman is not in the clothes she wears, the figure that she carries, or the way she combs her hair. The beauty of a woman must be seen from in her eyes, because that is the doorway to her heart, the place where love resides.
The beauty of a woman is not in a facial mole, but true beauty in a woman is reflected in her soul. It is the caring that she lovingly gives, the passion that she shows, and the beauty of a woman with passing years only grows!
--Sam Levenson

 

★Samuel Levenson (December 28, 1911 – August 27, 1980) was an American humorist, writer, teacher, television host, and journalist.

Personal life
Born in 1911, he grew up in a large Jewish immigrant family in Brooklyn, New York. He graduated from Brooklyn College in 1934. He married Esther Levine (1910–1999) and had two children, Emily and Conrad, the latter a graduate of Columbia University, an architect, a resident of New York City, and father of four children.


オードリー・ヘプバーン(英: Audrey Hepburn、1929年5月4日 - 1993年1月20日)は、イギリス人で、アメリカ合衆国の女優。日本ではヘップバーンと表記されることも多い。ハリウッド黄金時代に活躍した女優で、映画界ならびにファッション界のアイコンとして知られる。


スクリーン・ビューティーズ「オードリー・ヘプバーン」


アメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI) の「最も偉大な女優50選」では第3位にランクインしており、インターナショナル・ベスト・ドレッサーにも殿堂入りしている。

ヘプバーンはブリュッセルのイクセルで生まれ、幼少期をベルギー、イングランドで過ごした。オランダにも在住した経験があり、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツが占領していたオランダのアーネムに住んでいたこともあった。
各種資料の一部に本名を「エッダ・ファン・ヘームストラ」とするものがある。これは、戦時中にナチス・ドイツ占領下にあったオランダで、「オードリー」という名があまりにイギリス風であることを心配した母エラが、自らの名前をもじって(EllaをEddaとした)一時的に変えたものである。

5歳ごろからバレエを初め、アムステルダムではソニア・ガスケル (en:Sonia Gaskell) のもとでバレエを習い、1948年にはマリー・ランバートにバレエを学ぶためにロンドンへと渡って、ウエスト・エンドで舞台に立った経験がある。

イギリスで数本の映画に出演した後に、1951年のブロードウェイ舞台作品『ジジ』(en:Gigi (1951 play)) で主役を演じ、1953年には『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得した。その後も『麗しのサブリナ』(1954年)、『尼僧物語』(1959年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『シャレード』(1963年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『暗くなるまで待って』(1967年)などの人気作、話題作に出演している。女優としてのヘプバーンは、映画作品ではアカデミー賞のほかに、ゴールデングローブ賞英国アカデミー賞を受賞し、舞台作品では1954年のブロードウェイ舞台作品である『オンディーヌ』(en:Ondine (play)) でトニー賞を受賞している。さらにヘプバーンは死後にグラミー賞エミー賞も受賞しており、アカデミー賞エミー賞グラミー賞トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の一人となっている。

ヘプバーンの女優業は年齢と共に減っていき、後半生のほとんどを国際連合児童基金ユニセフ)での仕事に捧げた。ヘプバーンがユニセフへの貢献を始めたのは1954年からで、1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身している。1992年終わりには、ユニセフ親善大使としての活動に対してアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。この大統領自由勲章受勲一カ月後の1993年に、ヘプバーンはスイスの自宅で虫垂癌のために63歳で死去した

 


【女性の品格】 オードリー・ヘップバーンの人生観が変わる言葉・名言集